いじめられっ子、世にはばかる

あのいじめられっ子は今。

小説はこちらで読めます。ぜひ。
https://kakuyomu.jp/users/toriyama_lukas
もうひとつのブログはこちら。お時間ありましたらどうぞ。
http://cocolukas1225.hatenablog.com/

あの人は今。もとい、あのいじめられっ子は今。

 こんにちは。鳥山です。挨拶は大事です。私は以前、勤めていた職場のほとんどの人から敬遠されている女性に、毎朝挨拶をし続けました。周りの人は老いも若きも誰一人その女性に「おはよう」どころか会釈もしないのに、です。ところがさすがその女性もほとんどの人から避けられているだけあって、私が朝出勤して「おはようございます!」と声をかけても、「おはよう」どころか会釈も返しません。これは厄介でございます。難攻不落の予感がします。もしくは、なぜ周りの誰もが話しかけないのに、この後輩は私に「おはようございます」と言い続けるのだろうと驚きと不思議で戸惑っていたのかもしれませんが。とは言え私も生まれついての奇人変人でございますから、これはかえってやり甲斐ありと見て、毎日毎日、その女性に「おはようございます!」と挨拶し続けました。相変わらず返ってくる言葉はないのですが。
 そんな状態が一ヶ月くらい経った頃、私はいつものようにまるで誰もいない海に投げかけるかのごとく、「おはようございます」とくだんの女性に挨拶しました。するとどうでしょう、「おはようございます」と、か細い、今にも消え入りそうな声で、挨拶が返ってきたのです!
 私は顔には喜びを出さず、すん、としていましたが、心の中では小躍りしていました。ポケモン、ゲットだぜ! もとい、挨拶、ゲットだぜ! と叫びながら。その時はもちろんこの世にポケモンGOなんてありませんでしたが。あの爆発的ヒットはなんだったのでしょうね。今でもたまに街中で飽きずにポケモンGOをやっている人を見かけると、「この人は恋愛においても一度付き合ったら長そうだ」などと根拠のない心理テスト的なものを実行してしまいます。
 すみません、話が逸れました。そういうわけで、私はたとえ周りから嫌われている人でも、挨拶を貰えば小躍り出来る人間なのです。そして、たぶん私がその女性にしつこく挨拶をし続けていたのは、私が子供の頃いじめられっ子だったということと無関係ではないように思います。そう、私は、子供の頃クラスメイトたちからいじめられていました。そしてそれから約二十年後、大人になってこうしてブログなどを書いています。いじめられていたという過去を持つ人の中には、その過去を話したがらない人もいると思います。それは至極自然なことで、戦争を経験した人が、みな戦争体験を子供達に聞かせたいかと言ったらそれは違うのです。話したい人は話しても良い、話したくない人は話さなくても良い。それでいいのでございます。私は、いじめられたということを話したいと思うことがあります。その理由は、このブログを更新しながら追い追い探っていくとして、もし、その私の欲求が、「子供のころいじめられていた人間が、大人になってどういう人生を歩んでるんだろう?」と思っている人へのひとつのお答えになるのであれば、これ幸い、と思いつき、このブログを立ち上げた次第です。「あの人は今」ってな感じで昔活躍していた芸能人を取り上げる番組があるならば、「あのいじめられっ子は今」ってなブログがあってもいいんじゃないかしらん、と。そう思った次第です。
 これからこのブログでは、いじめられっ子だった私が「今」をどんな気持ちで過ごしているかを綴っていこうと思います。面白おかしい時もあれば真面目な時もあるかと存じます。そして一個だけ読んでくださる方に言っておきたいのは、私は別に聖人ではないということです。どんな理由があろうと、いじめはいけないことです。それは紛れもない真理です。けれど、それと同時に、いじめられっ子が聖人君子でいなければいけない義務もありません。私はちょっと変てこな感性を持っているかもしれませんが、けっこう普通の人間で、皆さんとさしたる違いはないと思います。嫌いな人もいますし、たまに他人の悪口をうっかり言ってしまう時もあります。それをどうか、前提として知っていて欲しいと感じています。
 それではこれから、よろしくお願い致します。
 そしてあわよくばこのブログが書籍化されることを祈って、冒頭の挨拶とさせていただきます。挨拶は、大事です。