いじめられっ子、世にはばかる

あのいじめられっ子は今。

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「タラレバ娘」と一秒前にだって戻りたくない私の決定的な違いについて。

 こんにちは、鳥山です。鳥山は映画やドラマを見るのが好きです。映画やドラマは私を現実ではない世界へぽーんとぱーんと連れて行ってくれますから、小学生の時にいじめを受けて現実が多分他の人より数百ワットくらい暗かった鳥山にはなくてはならないものなのでございます。
 今これを書いている2017年の2月には、「東京タラレバ娘」というドラマが放送されています。これは、東村アキコさんの漫画が原作で、三十代の東京に住む独身女性三人が、「あの時ああしてれば、」「もっとこうしてれば、」と若き日の自分の行いに後悔しつつ泣き、怒り、悩み、時々立ち上がり毎日を生きていくというドラマです。とても時代の生きづらさを的確に表現してくれているし、彼女たちの年齢に近い私にも、共感する部分がありました。だから最初は、楽しくドラマを拝見していました。なんなら原作の漫画も読みました。
 でも、見れば見るほど、読めば読むほど、「東京タラレバ娘」の登場人物たちと自分の間には、決定的に違うところがあると、感じるようになりました。それは、私はいつも、「今が自分史上最高の自分だ」と思って生きているということです。
 このように書くと、何か、自分がとてつもないポジティヴシンキングの権化のように思えてきますが、そんなことはまったくありません。私が、常に今がいちばんだと思っているその原因は、紛れもなくあの十代の暗黒の時期があったからです。
 私は一般的に言われるような「学生時代」ーー友達と学校帰りにカラオケに行ったり他愛もないことで笑いあったり文化祭の準備に精を出したりバイト先の先輩に恋したり気になる人とグループで遊園地に行ったり(というのがこの世には存在しているらしい)ーーを十九歳まで経験することはありませんでした。十二歳でいじめられてから、高校を卒業する十八歳まで、私がやっていたことといえば、現実逃避と勉強でした。ある意味では、勉強も現実逃避の一種でした。夜通し「ハリー・ポッター」全巻を読んで空想の世界に逃げ込むとか(あれは本当に現実逃避には最適の本です)、ひたすら勉強用のノートをハイクオリティに仕上げるとか(イラストも取り混ぜたそれはもはやひとつのクリエイティヴと化していた)が私の「学生時代」だったのです。そして十九歳になる年、東京に来て初めて、「友達と遊ぶ」という行為を知ったのです。
 だから私の体感では、私の「学生時代」は十九歳に始まり、今はそれからまだ十年ほどしか経っていないようなものなのです。一般的な日本に住む多くの人たちとは、その体感に五年ほどの差があると言っていいでしょう。たかが五年。されど五年。人は輝かしい日々が体感的に遠いと感じれば感じるほど、あの時に戻りたいと強く思うような気がします。しかも私にとってのその五年とは、暗黒時代。二度と戻りたいなどとは思いません。あの頃に戻るくらいなら、今から時間をすっ飛ばして五十代になった方がいくらかマシだと思うくらいです。
 十九歳から私の人生は始まり、ひとつひとつ、人よりは遅いかもしれないけれど、確実に今まで生きてきました。いちいち顔色を伺わなくても良い友達が出来たし、いくつかの恋も経験しました。自分という存在を否定し、いつもいつも汚れてもいない手を狂ったように洗い続けていたあの頃からすると、なんて自分は素晴らしい場所に辿り着いたんだろうと思うのです。時々、そのことでぽろりと涙を流しそうになるくらい。
 もしかしたらそれは、「あの頃」が私にくれた唯一にして最大の「良きこと」かもしれません。
 私がこの世で最も嫌いな言葉は、「いじめを経験したからこそ他人の苦しみや悲しみを理解できるようになった。人に優しくできるようになった」という主旨の言葉です。正直言って反吐が出ます。そんな結果論は糞食らえです。あんな苦しみは、経験しなくて済むのならばする必要はない! この世に生まれてくる誰一人として、あんな傷を背負う必要はない! だから私は、人から自分の優しさを褒められたとしても、それがあのいじめのおかげだとは一切思いませんし、そのようなことを人に言わないようにしてきました。いじめが生む「良きこと」など何一つないと。
 でも、もしかしたら、私が今の私を一番だと思えること。それだけは、あのいじめがもたらす「良きこと」なのかもしれない。悔しいけど、それは否定出来ない。でも、まだ私に苦し紛れに否定することが許されるとすれば。私が「今が自分史上最高の自分だ」と思えるのは、私があの時代から自力で這い上がってきた結果なのだから、これは私自身のおかげなのだと言いたい。そしてこれからは、そう言わなければならないのだと思います。
 だから私は、五年前どころか、一年前、いや昨日、もっと言えば一秒前にさえ、戻りたくはないのです。
 だってどんな時だって、今が自分史上最高の自分なのだから。