いじめられっ子、世にはばかる

あのいじめられっ子は今。

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東京、そこはあたたかい

 こんにちは、鳥山です。今、これを書いている東京の街は冬の真っ只中です。東京の街は、と言いましたけれども、日本全国どこでも冬の真っ只中です。でも、今私のいるのは東京の街なので、そこが私の世界の中心なのです。
 鳥山の世界の中心は、元々東京ではありませんでした。高校卒業まで九州の片田舎にて人生をくすぶらせていました。十八年間。それを長いととるか、短いととるかは気持ち次第なところがあって、長い、とても長い、なぜ私は十八年間もあんなところに縛られなければならなかったのだと今更どうしようもない後悔に頭を抱えることもあれば、十八年間なんて、人生八十年の内の四分の一にもならんっちゃっけん、全然気にすることなか。と、武田鉄矢の母ちゃんみたいな口調になる時もあります。ちなみに、武田鉄矢の母ちゃんと言いましたけど、正確には武田鉄矢の真似する武田鉄矢の母ちゃんの真似です。嗚呼、人生はややこしい。

 そんなわけで、わたくしは生まれてから約十八年間、その九州の片田舎を世界の中心として過ごしていました。その町には電車の駅もなく、バスは一時間に一本の運行で、どこまでも広がる田園風景の中を、野良犬に怯えながら歩いて行くのが常というような、都会の人間が見たら、二十一世紀の日本にこんなところがあったのか、と驚愕するくらい辺鄙なところでした。その町は人口約一万五千、村単位でみれば百人程度、その数字はおそらく百年前からさして変わっておらず、道を歩けばスーパーに行けば飲食店に入れば必ず知り合いに会う、という世界の狭さでした。誰かが何かをすれば、次の日には一斉にその話題が各家庭の食卓にのぼりました。誰それのお兄ちゃんが某高校に受かっただの、誰それの家の長男はまだ結婚していなくて、あれはもう駄目だわねだの、そういった話がよく聞こえて来ました。町役場の職員の息子・娘がなぜか学校ででかい顔をしていて、引っ越してきた家庭にはいつまでも「よそ者」の雰囲気が漂っていました。「停滞、そして窮屈」というタイトルの絵を描きなさいと誰かに言われたら、私はきっとこの町の風景を描くでしょう。そして私はこの町でいじめられ、何もいい想い出のないこの町を捨てました。

 東京生まれ、東京育ちの人に、こう訊かれたことがあります。
「鳥山さんはさー、やっぱり実家に帰る時、電車乗りながらマッキーのアレ聴いたりするの? 『遠く、遠くー』ってやつ。私、東京生まれ東京育ちだからさあ、憧れるんだよねえ」
 マッキーとは槇原敬之氏のことで、その曲のことは私も知っていました。その曲の主旨は、自分は故郷から旅立ち、この街で頑張るけれど、故郷のことを忘れはしない、大事に思っているというものです。私は里帰りする時にその曲を聴いたことは一度もありません。いや、正確に言うなら、そのような曲を聴こうと思うようなプラスの感情を、あの生まれ育った町に対して一度も抱いたことがないのです。それどころか、あの町から出来るだけ遠く、遠く、離れたかった。だから私は高校を卒業して進学する時に、出来るだけあの町から遠い場所にある学校を選びました。福岡じゃ足りない、大阪でも足りない、もっと、もっと、もっと遠くへ! そして私が「いじめられていた」ということを知っている人が誰ひとりいない場所へ! そしてそんな私を、受け入れてくれる場所へ! それには、東京という街が最適だったのです。

 私は十八歳で東京で暮らし始めた時、心底安心しました。この街には、私がいじめられていたということを知っている人がひとりもいない! いじめられっ子のフィルターを通して私に接する人がいない! 何て素晴らしいのだろう。私はあの町で一度死んで、この東京で生まれ変わることが出来る。生まれ変わっても良いよ、と言われているような気がする。良く都会の人間は冷たい、田舎の人間は温かいと言うけれど、私に言わせればそれはちゃんちゃら嘘であったのです。子供の頃どんな扱いを受けていたか、どんなポジションだったかでその後の人間性さえも判断され、噂されるあの田舎町より、今何をして、どう生きているかの方が重要であるこの一千三百万人以上で形作られた東京砂漠は、前川清が憂いのある声で歌うまでもなく私にとって誠に素晴らしい場所なのであります。辛くて涙が出そうな時に、遠くのビル群の無数の灯りを眺めて、あの中にもきっと、私と同じように泣きたい気持ちになっている人がいると想像すると、不思議と心が落ち着きました。あの田舎町では、そんな灯りなど、見つけられなかった。夜になれば、ただただ窓の外は黒の絵の具で塗りつぶしたような暗闇だった。誰某さんちはまだ起きていて、誰某さんちはもうみんな寝てる。ただそれだけだった。そして尚更、暗闇の中で起きている自分が取り残されているような気がしたものです。でも、東京は違ったのです。知らない人々の喧騒は、田舎町の寒さに凍える私を優しく包んでくれる毛布のようでした。そしてその知らない人々の中のひとりひとりと出逢うこと、私の十八年間を知らない、でも十八年間生きてきた私を知りたいと想ってくれる人と出逢うことが、何よりも私の傷を癒してくれたのです。

東京、そこは、とても温かい場所だったのです。